2024.05.02

ありきたりな言い方だけれど、魂を売る覚悟が足りていない、ということなのだろうと思った。多少の拗れた自意識はどうにもならないとしても、恥じた恥じたとしきりに書いてばかりで、それを以て自分の欠落を引き受けたような気になっているだけなのではないか。物語を造る人間になるためには、当たり前のことだけれど、多くの物語に触れ続けることが不可欠で、それだけの気持ちを持って相対できるのか、傷つくために再生するために傷つくために、強く強く祈り続けることができるのか。

勉強ができないのなら、せめて本かシナリオを読めばいいわけだし、本当に、自我がまともに芽生えてから一度も何かを最後までやり遂げようとしたことがないのにそれが恥でも何でもないような顔で生きて、その原因が何にあろうと構わないけれど、とにかくこの状況をどうにかした方がいい、と思った。

でも、神様を失ってからどうしようもなくなって裏返ったり翻ったりすることだけを手段として生きてきたから、どうしたらそのように在り続けられるのか、本当にわからない。

そうやっているうちに精神が子どものような癇癪を起こして、なにもかもが面白くなくなってしまう。

生きていくことに何も不自由していないから、果てしない暇を潰そうと倦んだような顔で程度の知れた不幸を弄んでいるだけだろう、軽薄、という声を、ずっと聞いている。